お仕置きファイル



序文 春への書簡 遠い春 校庭に吹く風 闇の重さ 旅立ち 熊野の熱い夏
 

 熊野の熱い夏

 森は暗く、閑寂な夜気を漂わせていた。勝浦駅から那智山行きのバスに乗り、「滝前」という停留所で降りる。こんなところに舞踏の合宿所があるのだろうか。
 私は合宿に参加する同じ大学の研修生のカオリとともに目的地の合宿所を探していた。しばらく行くと滝があり、その少し向こうに明かりが見えてきた。あそこが今夜の目的地だ。
「ジュンコ、なんだか凄いとこ来ちゃったね」
「ここ、なんかバリの合宿所に似てない?」
 私はカオリに言った。
「うん、レイコ先生が言ってた通りだね。あ、サナエ先生だ、せんせーい!」
 カオリは小走りになった。
「待ってよ−」
 私も後に続いた。
「サナエ先生、お久しぶりです」
「カオリちゃん、よく来たね。この子がジュンコさんね?」
「ジュンコです。よろしく」
 サナエ先生はレイコ先生の門下生だった。そんなよしみもあり、レイコ先生の勧めで私たちはこのB塾の夏季合宿に参加することになった。

 当時、舞踏界を二分する勢力があった。S塾とB塾だ。S塾は洗練された演出で、ヨーロッパを中心に高い評価を得つつあった。一方のB塾はこの熊野の山に根を下ろし、アジア的で猥雑でエネルギッシュな世界を展開した。私もカオリもB塾の舞踏に惹かれていた。
「あなた達、バリはどうだった?」
 レイコ先生が聞いた。
「面白かったですよ。あたし達、村の芝居小屋みたいなとこで踊ったんです」
 カオリが答えた。
「そう、じゃあ今年の夏は熊野に行ってみなさい」
「熊野って、もしかしてB塾ですか?」
 私が聞いた。
「わあ、楽しそう」
 カオリは小躍りした。
「でもカオリ、あの夏季合宿って凄い厳しいんじゃなかった?」
 私は不安そうに言った。
「大丈夫だって、あたし達、もう何度も鉄火場潜り抜けてきたじゃんよ」
「カオリは前向きだなあ。でも、面白そうだね」
「サナエ先生にカオリは会ったことあるわね。今夜電話しておくわ。ちゃんとレポート書いてくるのよ」
「はーい!」

 私とカオリは中学の頃からの親友だった。私たちを繋いだのは器械体操だった。私たちは隣の県のライバル同士、でも私生活ではライバルという感じはしなかった。性格が全く違っていたからだと思う。カオリは好奇心旺盛なフロンティアタイプだった。中学3年の時、そのカオリが私に舞踏の世界を持ち込んできたのだ。初めて見たのはビデオでのマーサ・グラハム、それからピナ・バウシュ。ピナ・バウシュなんて、当時の田舎の中学生は誰も知らなかった。
 高校になると、私たちはなんとなく舞踏やってみようよって方向に話が向かい始めた。器械体操は長くやれないし、ずっと舞踏の方が面白そう。私たちは高校は違ったが、2年になると同時に退部届を出した。関係者は少なからずショックを受けた。私たちはそれなりに今後を期待されていたし、しかも同時にだ。でも二人にはなんの迷いもない。目指すはレイコ先生のいるN女子体育大だ。私もカオリもなんなくその入学試験をパスした。

 私とカオリは小さなコテージのようなところに案内された。他の学生は雑魚寝だから特別待遇だ。カオリは群舞の振り付けで新人賞を取り、舞踊協会内部でも注目を集める存在になりつつあった。私は舞踊団のナンバーツー。私たちはリーダー的な役割を期待されていた。
「カオリ、バリと一緒だ。星が降ってくるみたいだよ」
「森の雰囲気とかもね」
 その春、私たちはバリ中部のプリアタンという村にいた。そこにティルタサリという舞踊団の団長が経営するペンションがあり、私たちはそこにお世話になった。昼間はダンスを習いガムランを演奏し、夜は村の小さな舞台に立った。楽しい日々だったし、学ぶものも多かった。手の動きや顔の表情など、取り入れたいと思うことが多々あった。それにあの濃密な森と蛍と手の届きそうな星空、私たち二人は子供の頃に返ったように、地元の子供達にダンスを教えたりしてはしゃぎまわった。
 いろんな話がはずむうちに、私たちは時が過ぎるのを忘れていた。寝付いたのは深夜だったと思う。じつはこの夜更かしが、翌日の悲劇につながっていくのだった。

 ドン、ドン、ドン。なんだろう、こんな朝に。私は時計を見た。ヤバッ、もう9時回ってるじゃんよ。
「カオリ、早く起きなよ、ヤバイって!」
「ギッ、ちょっと待ってよ、ジュンコ。ともかく戸を開けなきゃ」
 そこには体格のいい男性が立っていた。
「もうみんなホールに集まってるぞ」
「はい、すぐに行きます」
「待て! その前に塾長の部屋に行ってこい!」
「じゅ、塾長の部屋に行かなきゃいけないんですか?」
「いいから早く行けって」
 男性は口答えするカオリのお尻をぽーんと叩いて私たちを追い立てた。
 ドアをノックして、恐る恐る塾長の部屋に入る。私たちは並んで直立不動になった。コワイよー。
「お前ら、物見遊山か。いますぐ荷物まとめて東京へ帰れ」
 静かだが、断固とした口調で塾長が行った。
「申し訳、ありませんでした。あたしたち、ここで引き返すわけにいかないんです。どんな罰でも受けます!」
 カオリは必死だった。私も続かなきゃいけない。
「お願いします!」
 そう言って深く頭を下げた。塾長はしばし黙っていた。
「よし、眼をつぶれ」
 これは殴られるなと思った。言われた通りするしかない。バシッ! 何か肉を叩くような凄い音がした。バシッ! その瞬間、私のお尻に焼け火箸でも当てられたような痛みと強い衝撃を感じた。私はお尻に手の甲を当てて、隣のカオリを見た。カオリも同じように手の甲をお尻に当てている。塾長の手には太い竹刀が握られていた。
「ここから神社まで2往復、罰走だ。ノルマは20分以内、早く行け!」
「はい!」
 私もカオリも寝起き、Tシャツ短パン姿で朝の山道に飛び出した。

「イッテーなあ、畜生」
「だからカオリに言ったじゃん、ここの合宿は鬼の合宿なんだって」
「あたしたち、最悪じゃねーの? 初日から寝坊こくなんて」
「第一印象、最悪だわ」
 ブツブツ文句言ってる暇はない。10分で1往復しないとノルマをこなせない。だが、起伏の大きい山道に私は手こずった。
「ジュンコ、大丈夫か?」
「カオリ、先行って。あたし、ヤバイかも」
「何言ってんの、一緒に行こうよ」
「でも二人でお手々繋いで帰ったら百倍怒られるかもよ」
 カオリは心配そうに私を見ていたが、先に行くしかなかった。
「ジュンコ、絶対遅れるなよ!」
 私は必死に走ったが、タイムオーバーだった。玄関先にさっきの竹刀を手に塾長が立っている。その向こうに合宿に参加する学生達の姿が見えた。
「5分オーバーだ。もう1往復するか? それとも竹刀か? 好きな方を選べ」
「す、好きな方ですか? ……もう罰走はキツイです」
「わかった、その下駄箱に手をつけ!」
 他の学生の視線は気になったが、もう恥も外聞もない。一発我慢してしまえば終わりだ。バシッ! 1発目とほとんど同じ、お尻の真ん中に当たった。なんだかさっきより痛みが増したような気がした。

 60人ほどの学生がこの合宿に参加していた。みんな若い。それに驚いたのは、全体の4分の3が女子だったことだ。昨今の舞踏ブームの影響だろうか。あんまり鍛えられてるっぽい学生はいないな。この子達、どれだけ耐えられるんだろう。ふと見渡すと、一人だけ知ってる顔がいる。T大のミキだ。ミキは舞踊科の2年生。T大にはレイコ先生と同門のユキ先生がいて、T大の学生とはワークショップなどで顔を合わせる機会が多かった。
「ジュンコ先輩、よく竹刀の方選びましたね」
「あたしたちはねえ、ミキちゃん達とは鍛え方が違うのよ。イテ」
 そう言いながらお尻を手のひらでさすると、ミキと隣にいた女子学生は下を向いて笑いを噛み殺すようにしていた。
 午前中にオリエンテーションがあり、待ちに待ったお昼の時間がきた。私たちは4人掛けのテーブル席に座った。私、カオリ、ミキ、そしてさっき下を向いて私を笑っていた子だ。その子はW大1年で演劇を学ぶトモコだった。
「えっ? カオリ先輩もやられたんですか?」
「あたしが1発、ジュンコが2発、嵐の船出だわ」
「でも初日に寝坊なんてめちゃくちゃ印象悪いっよ」
「わかってるわよー!」
 カオリがいかにもうるさそうに言った。
「あなた、トモコちゃんって言うの? この合宿大丈夫かな」
 私が言うとミキが返した。
「この子、舞踊の知識ハンパじゃないですよ。学生募集の張り紙見ていてもたってもいられなかったんだって」
「お二人、見ましたよ。去年の現代舞踊フェスで。カッコよかったです」
「でもトモコちゃん、あたしやカオリは純粋体育会系だからねえ。竹刀もお尻に飛んでくるよ」
「頑張ります!」
 それからいろいろ話してみると確かによく勉強している。カオリが私の方を見て言った。
「あたしたち、大学で何勉強してたんだろうね」

  午後からいよいよ稽古が始まった。ここで学生達が震え上がるようなことがいきなり起こった。動きの緩慢だった男子学生の頬に、いきなり塾長の強烈な張り手が炸裂して学生は吹っ飛んだ。緊張感が稽古場にみなぎった。結局この日の犠牲者はこの男子学生とカオリ、私の3人だった。
 その夜、私はまたも寝付けなかった。
「ねえ、カオリ、起きてる?」
「うん」
「レポートさあ、書くこと決まった?」
「ボチボチね」
「カオリは早いなあ。あたし何書こう。寝坊して塾長に竹刀でお尻ひっぱたかれましたって書くの?」
「バカね! 小学生の絵日記じゃあるまいし。もうちっとマシなこと自分で考えて書きなさいよ」
「カオリは冷たいなあ」
「あのねえジュンコ、こんな時間にくっちゃべってて明日も寝坊したら、またあたし達塾長にぶっ飛ばされるのよ! わかったね、ジュンコ。じゃ、お休み」
 カオリは頭からすっぽりと布団をかぶってしまった。

 2日目に入った。この朝、男子は全員モヒカン刈りになるよう強要され、それを拒否して帰り支度をする者が出始めた。昨日頬を張られた男子も帰ると言い出した。去る者は追わず、それがB塾の方針だ。あっという間に男子学生はほとんどいなくなってしまった。
 3日目。朝からひたすら体をいじめ抜く。カオリが何か考え込み始めている。古いつきあいの私にはピンとくるものがあった。櫛の歯が欠けるように帰り支度を始める者が止まらない。もうこの日で合宿所は半分の30人になってしまった。
 1週間が過ぎた。ここまで生き残ったのはたったの18人、全員が女子だった。心配していたトモコは残っていた。8日目の朝のあいさつで塾長は言った。
「みんな1週間よく頑張った。だがあれはウォーミングアップだ。これからが本番の稽古だ。午後は私が直々に指導する」
 そしてこの日の午後から、女子学生達のお尻に容赦なく竹刀が飛び始めた。泣き出す子が出た。あの明るかったカオリから笑顔が消えた。
 10日目。18人は12人になった。私にはカオリの考えていることがわかった。
「ジュンコ、わかるよね。もう限界だ。これ以上学生が減ったら月末の公演ができなくなってしまう。そんなことになれば、ここまで歯を食いしばって頑張って来た子達の努力が水の泡になる。絶対にそんなことはさせない。ここに残った12人で公演を成功させよう。今夜、いろいろ話そう。そして私たちなりの考えを塾長にぶつけよう。それしかない」
 私は深くうなずいた。カオリの表情にはもうこのチームのリーダーとしての自覚と強い責任感が滲んでいた。

 その夜、カオリと私は塾長室に直談判に行った。カオリは塾長の前でこう啖呵を切った。
「メンバーの不始末はすべて私とジュンコの2人でその責任を負います。私たちのリーダーシップを信じてください!」
 塾長は言った。
「わかった。学生はお前ら2人が責任を持って管理しろ」
 やっぱりカオリも私と同じ気持ちだったのだ。ここに集まっている子達は舞踊科のミキを除けば未経験者ばかり、体すら鍛えていない子もいる。そんな子達が動きが悪いからと竹刀でビシバシ叩かれている姿を目の前にするのは辛い。なんとかこの子達の防波堤になれるものならなりたい。

 次の日から稽古場の雰囲気が変わった。塾長は相変わらず竹刀を持っていたが、振るうことはなくなった。怒声も消えた。学生達の表情に少しゆとりが戻った。
 だがカオリと私には、それは試練の日々の始まりだった。稽古が終わると私たちは塾長室にさっそく呼ばれた。
「カオリ! ジュンコ! なんだ、今日のみんなの動きは。バラバラじゃないか。これがお前らの言うリーダーシップか!」
 悔しいけど返す言葉がない。塾長は竹刀を握ると、私とカオリのお尻をこれでもかと打ち続けた。カオリも私も耐えた。
 私たちは深く頭を下げて塾長室を出た。でもまだ私たちの一日は終わらない。今日塾長に指摘された問題点を解決する方策を考えないといけない。でなければ、明日はさらに厳しい叱責を浴びることになるだろう。
「朝練やろう。みんなに協力してもらおう」
 私とカオリの考えは一致していた。
 だがこのカオリの捨て身の直訴作戦は大きな効果をあげた。毎日止まらなかった脱落者がピタリと止まったのだ。この12人ならきっといける、そんな希望の火が見えてきた。
 その一方で、塾長や私たちのスタンスの変化に戸惑う者もいた。ミキだった。合宿前半も最終日、ミキは私の元を訪れた。
「どうしたの? 暗いぞ」
「ジュンコ先輩、ジュンコ先輩とカオリ先輩は責任感が強すぎます。先輩達のコテージだけ、夜遅くまで明かりがついてますよね」
「ミキ、ミキにはこれから働いてもらわないといけないことがいっぱいあるわ。先はまだ長いのよ。いまは自分のパフォーマンスと体調管理をしっかり考えなさい。あなたはメンバーの中の唯一舞踊経験者、私もカオリも、ミキをいちばん頼りにしてるのよ」
 私はミキの両肩にそっと手をかけてそう言った。

 合宿の前半が終わった。今日はこの合宿中で唯一の休日だ。私は前から話してみたかったサナエ先生とじっくり話す機会を持てた。
「この合宿、女の子ばかりになっちゃいましたね」
「いつもそうなのよ。男の子はなかなか日常を捨てられない。こういう異次元のような空間で些細なことで殴られたり、モヒカンを強制されたりすると、現実に揺り戻されてしまう。その点女の子は、こうと思い詰めたらその壁を案外スッと越えてしまう」
「あ、なんかわかる気する」
 それからしばらくレイコ先生やユキ先生の思い出話や近況報告が続いた。そして話題は変わった。
「あなたたち、塾長のとこに直訴に行ったんだって?」
 サナエ先生は急に親しげに笑いながら身を乗り出してきた。
「あ、あれ。カオリです。啖呵切ったりするの、カオリの得意技ですから」
「塾長はねえ、あなた達の話になると途端に表情が変わって、ほんとに嬉しそうになるのよ。久しぶりに鍛え甲斐のある骨のある奴らが来てくれたって」
「はあ、あたし達の前では全然嬉しそうじゃないですけど」
「ジュンコちゃん、あなたのご両親はあなたが舞踊の道に進むことをどうおっしゃってるの?」
「好きで始めた道ならとことんやれって、応援するとは言ってくれてます」
「素晴らしいわね」
「でも私、どうなんだろ、ただでさえ厳しい道だし」
 それから少しサナエ先生は黙っていた。
「惜しいわね」
「え、何がですか?」
「あなたは自分の価値に気づいていないだけなのよ。あなたはご両親やお兄さん、指導された先生方や先輩、お友達、周りの人たちから愛情をたっぷり注いでもらって育った子、そうでしょ?」
「そう言われるとそうかもしれませんけど、それが価値なんですか?」
「じゃあ、こんなふうに言えばいいかな。甘いミカンは陽当たりのいい場所にしか育たないものなのよ。あなたの映える場所は舞台のように私には思えるわ。カオリちゃんはああいう子だから遠からずレイコ先生の元を離れて自分のカンパニーを立ち上げるでしょうね。それがわかってるから、レイコ先生はあなたを手元に置いて育てたいのよ」
「……サナエ先生、私、この合宿で自分が何か変われそうな気がするんです。いままでは、いつもナンバーツーで、頭でも運動神経でもカオリにはかなわないなあとか。いまいい経験をさせてもらってる真っ最中です」
「そう思えるところが、あなたやカオリちゃんの素晴らしいところだわ」

 合宿も後半に突入した。その夜、集会の場で塾長が言った。
「明日はこの先の滝のところで実践パフォーマンスをやる。みんな白のパンティーをはいてきなさい」
 場内がどよめいた。いよいよ白塗りをやるのだ。その時、トモコが手を挙げて発言した。
「塾長、ワンポイントものはダメですか」
「よー、文科系!」
 カオリがすかさず茶々を入れた。
「そのくらいなら、まあいいだろう」
 塾長は笑いながら言った。が、和やかなのはここまでだった。さらなる試練が私たちを待ち受けていた。

 翌朝早く、私たちは滝の前に着いた。ここからの手順はこうだ。私たちはまずここで服を脱ぎ、パンティー一枚になる。そのパンティーをTバックのように絞り、練白粉を水で溶いて2人1組になってお互いの体に刷毛で塗り合う。最後はスポンジで調整する。私とカオリには経験がある。これは体験した者にしかわからない恐怖を伴う。舞踏における白塗りを一種の洗礼だと表現した人がいた。戻れない異次元の世界に無理やり投げ込まれるようなそんな感覚と言ったらいいだろうか。みんな、すんなり動いてくれるだろうか。
 私とカオリの不安は的中してしまった。服を脱ぐまではよかった。ところが、そこから先の一歩を誰も踏みだそうとしない。極度に緊張した場面ではこういう負の連鎖反応が起こることがある。誰かがフリーズしてしまうと全体が固まってしまうのだ。胸をさらけ出すことを拒否するように両手で隠す子、パンティーを絞りたがらない子もいる。あのミキまでが金縛りに遭ってしまったかのようだ。まずい。とうとう塾長が痺れをきらした。
「ミキ、やる気がないなら帰れ!」
 バシッ! Tバックに絞ったミキの白く小さいお尻に、強烈な竹刀の一撃が飛んだ。バシッ! トモコも半泣き状態でお尻を強打された。塾長は一人ずつ10人の女の子のお尻を竹刀で叩き回った。それから威圧するかのように、私とカオリを交互に睨み付けた。私たちにリーダーシップをとれという合図だ。私とカオリは練白粉を水で溶いて、お互いの体に塗り始めた。でもみんなが動いてくれなければ意味がない。私はチラッとみんなの方を見た。ダメだ。まるで怯える羊の群れになってしまった。ミキちゃん、みんな、お願い! 今度はカオリを見た。カオリは私の目をじっと見て、小さく頭を振った。私にはカオリの気持ちが伝わった。そんな自信のない態度では誰もついてきてくれないわよ、カオリはそう言いたかったのだ。
 私が気を取り直して刷毛に練白粉をつけようとした瞬間だった。ミキがついに動いた。ミキは地面から刷毛と水の入った練白粉を拾うと、パートナーを目で探し始めた。それに呼応するように一人、また一人と動き出した。催眠術が解けたのだ。私はほっとしてカオリを見た。カオリは俯いたままこみ上げるものを必死にこらえていた。

 いよいよ公演まで10日を切った。まだまだやらなきゃいけないことが山ほどある。朝から日暮れまで体をいじめ抜き、練習が終われば塾長室に呼ばれ、グループの未熟さを叱責され、竹刀でお尻を叩かれる日々。だが一日はまだまだそれで終わらない。初めての合宿疲れでパフォーマンスが落ちている者には休養をとらせるよう塾長に進言しなければならない。進言は聞き入れられることもあれば却下されることもある。塾長は塾長で学生達のコンディションをみていたのだ。学生一人一人が到達した技術レベルもチェックする。渡された演目を演じきるだけの力が備わっているか、もし乖離があるなら、演出や振り付けの変更も提案する。有り体に言えば、アラは目立たないようにしないといけない。夜間の個別指導もしなければならない。深夜になっても煌々と点り続けるコテージの明かりに吸い寄せられる蛾のように、いつしかミキが現れチームに加わっていた。ミキは遅れている学生の個別指導に汗を流した。やがてトモコもやってきた。トモコは演出面で大胆な提案をした。他のメンバーも次々にやってきた。このコテージは深夜の作戦本部だ。もう私たちは戦う一つのチームになっていた。

 カオリと私にはもう一つやらなければいけないことがあった。ショーのクライマックスシーンの練習だ。最後のシーン、屈強な男性舞踊手がカオリと私を両脇に抱えて放り投げ、私たちはバク宙で着地する。ここが決まらなければすべて台無しだ。塾長がその舞踊手を紹介してくれた。
「お前ら、バク宙は大丈夫なんだろうな」
「あたし達は体操の元日本代表候補ですよ」
 カオリがそう言うと、
「あはは、相変わらず頼もしいな」。
 塾長はもうかなり私たちを信頼してくれていた。
「でもカオリ、大丈夫かな、二人一緒の空中放り投げなんて」
 私は言った。
「大丈夫よ。もうあたしたちガリガリで二人合わせても80キロもないんだから」
「ほんと痩せたよねえ。でも汗で滑ってとか」
「ジュンコはなんでそうマイナス思考なのよ。ここをバッチリ決めて、あの塾長をギャフンと言わしてやるんでしょ」
 公演3日前、私たちは提案書を練り上げて塾長室に届けた。
「お前ら、練習の後によくこんなもん作ったな」
 塾長が少し嬉しそうに言った。
「これは明日ゆっくり読ましてもらうから、今日は戻って早く寝ろ。お前らに倒れられたら公演になんねえだろ」
「あたし達、そんなにヤワじゃないですよ、ねえジュンコ」
「ああわかった、わかった。お休みな」

 最後の練習は厳しいものだった。私のお尻にも、カオリやミキのお尻にも、何発もの竹刀が飛んできた。でもこれが最後だと思うと何だか淋しい気がする。常にプレッシャーをかけられ、ストレスをかけられ、それをはねのけていくことに闘志を燃やし続けるのが私たちの青春だった。だから私もカオリもこんなに燃えられたのだ。その私たちの熱い夏が、もうすぐ終わろうとしている。

 舞台の幕が開いた。ある者はサイバーパンクっぽい衣装で、ある者は全裸に近い白塗りで学生達が踊り狂い、絡まり合う。近未来とレトロがない交ぜになった舞台、音楽は雅楽とロックの生演奏だ。みんなしっかり集中している。突然爆竹が鳴らされ、私とカオリが舞台の両袖に立った。私とカオリは白装束、中央にはあの屈強な舞踊手が上半身裸で立っている。だんだんクライマックスが近づいてくる。観客はもう汗の飛びそうな距離だ。男性舞踊手が私とカオリの腰を抱えた。私とカオリの体が大きく後方に回転する。私とカオリの大粒の汗が観客席の前列に飛び散るのがスローモーションのように見えた。次の瞬間、私はバランスを整えながらヒラリと地上に舞い降りた。隣を見ると、カオリがしっかりと立っている。その瞬間、拍手と歓声が沸き起こった。スタンディングオベーションだ。私たちはやった。やりきった。

 その日の打ち上げはさながらクラス会のようだった。
「カオリ先輩、10月からフランスですよね。いいなあ」
「ミキちゃんもそのうち行けるわよ。でもフランス語がさあ」
「ああフランス語、難しそうよね」
 私は気のない返事をした。
「なに他人事みたいなこと言ってんの。あたしの次はジュンコだって、レイコ先生言ってたわよ」
「あたし? あたしはいいよ。東京でもしょっちゅう迷子になるのにさあ」
「ジュンコの方向音痴にも困ったもんよね」
 わたしはまわりを見回した。塾長はどこにいるんだろう、と捜すといた。いちばん隅の席で静かにビールを飲んでいる。塾長ってあんな飲み方するのかなあ。その時、カオリが立ち上がってテーブルの奥にあるプレートを取ろうと身を屈めた。短パンから覗く左太股の付け根のあたりに、竹刀でできた痣のような青い跡があった。カオリだけじゃない、みんなのお尻にそんな跡が残っているはずだ。私のお尻の真ん中にも細長く赤黒い竹刀の跡が残っていた。

 私とカオリは最後まで残って後片付けをしていた。塾長一人がまださっきの席で飲んでいた。
「お前ら、ちょっと来い」
 私たちは顔を見合わせた。
「そんな片付けなんか、明日みんなでやればいい。ほら、こっち来いよ。俺は今夜は、お前達と飲みたいんだよ」
 塾長はグラスを二つ取り出すと、冷えたビールを注ぎ始めた。私達は3人でグラスを合わせた。
「カオリ、ジュンコ、お前らほんとよく頑張ったなあ。初日の朝寝坊以外は満点だ」
「ありがとうございます」
 二人で言った。
「俺は今年は、もうダメじゃねえかと思ったよ」
「ダメって?」
 私は聞いた。
「だってそうだろ、1週間で60人の学生が18人になっちまったんだぜ。俺のやり方じゃもう若い奴はついてこないのかと愕然としたよ」
「私達もこれ以上脱落者を出さないようにいろいろやろうって、カオリと話し合ったんだよね」
 私はカオリの方を見ながら言った。すると塾長は、いままでにない慈愛のこもったような眼差しを向けながら私に言った。
「そうか、そういうことがあったんだな。……それからしばらくしてな、ミキの奴が俺に話があるって来たんだよ」
「ミキが? どんな話ですか?」
 カオリが身を乗り出してきた。
「カオリ先輩とジュンコ先輩ばかり叱らないでください。あたしが悪いときはあたしを叱ってください。他の学生もみんなそう思ってます、あいつ、そんなこと言いやがるんだよ」
「ミキは、あの滝でみんなが練白粉塗るの嫌がってた時、率先してみんなを促してくれた。ミキがいなかったらどうなってたか」
 私は言った。
「そうだよなあ。あいつもいいとこあるよなあ。あの時もどうなることかと思ったぜ」
「塾長さんって、意外と小心者なんじゃないですか?」
 カオリの口調がリラックスムードになってきた。
「はは、そうかもな。俺も長いこと夏季合宿やってるが、今年のお前達は最高に可愛い」
「カオリ、ジュンコ、お前ら最高過ぎるぞ」
 塾長はそう言うと、左の手でカオリの頭を、右の手で私の頭を、押さえつけるような荒っぽいやり方でなでてくれた。
「二人ともまた必ずこの森に帰って来いよ」
「はい」
 私とカオリは声を合わせて答えた。

 帰京の電車はさながら修学旅行だった。濃密な熊野の森が遠ざかっていく。あ、いけない、レポート書くの忘れてた!







Copyright © 2008 お仕置きファイル All rights reserved.
by お仕置きファイル